黒板の前で先生は板書を書き、生徒はそれを黙って聞く。ノートに取る。
自分の学生時代を振り返ると、そんな光景が目に浮かぶ。そして、現在もそんな光景が繰り広げられていることが多い。
授業参観に来る保護者はそうした光景を見て、ウチの子は集中している。このクラスは真面目で良い子が多いと感じる。かもしれない。
しかし、見方によっては議論が起こらず、対話も生まれず、授業動画視聴と何が違うのかという見方もできるかもしれない。
色々な考え方があると思うが、自分が作りたい場は学習者主体の学びの場。
その時のテーマ、問いに対して、生徒たちが主体的に調べ、議論し合い、学び合う。そんな活気と能動的なエネルギーに満ちた場づくり。
そのためには、学習者が能動的に取り組みたいテーマがあり、取り組みを促進する仕掛けや場の設計があり、学習者同士の心理的安全性が担保されている必要がある。
これ以外にも様々な要素があるが、こうした条件を満たしていると、少し押すだけで場は勝手に回りだす。
そして、学習者主体の場づくりができると、提供者側のかける労力が少ないにも関わらず、参加者は、それまで以上に満足したりする。
学習者は、知識をインプットしたいのはもちろんだけれども、自分で意見を考えて発信したり、他者と意見をぶつけて議論を深めたり、自分自身でテーマの深淵や問いの答えに迫っていくことが快感なのだと思う。
皆、本質的には学びや発見、驚きに飢えているのだ。そして、その学びの面白さを自らの手で掴み取りたい生き物なのではないだろうか。