近年教育現場で数多く使われるようになってきた探究という言葉。この言葉について言及した面白い記事があった。
https://note.com/tankyumedia/n/n579a92265fe0
探究とはカリキュラムではなく、行動習慣、思考習慣だとこの記事では言及されているが、まさしくその通りだと思う。
自分の関心のあるテーマについて、自分なりの問いを立て、自分なりの解決策を見出して実行すること。
この一連のプロセスを、幼少期に如何に習慣化できるかによって、探究力に大きな差が生まれる気がする。
自分の人生を振り返ってみても、受験のために強いられた勉強、成績のために強いられた勉強が良いことだと刷り込まれた辺りから、自分らしさや学ぶ楽しさ、その瞬間に没頭する喜びというものを徐々に忘れてしまった気がする。
好奇心に蓋をせず、興味のある本を読み漁ったり、レゴブロックをひたすら組み立てたり、カードゲームに没頭していた時間は幸せだったし、学びも多かったと振り返って思う。
一方で他者と比較され、目的もなく大学進学を目指し、成績という物差しで評価され続ける中高生時代は、違和感とモヤモヤとストレスとの闘いだった。
自らの喜びから何かに取り組み、学ぶ楽しさを見出していた時こそ、真に自分が生きている時間であり、探究している時間だった。
そして、こうした探究習慣を身につけた子どもたちは、自身のやりたいことに忠実になり、人生を前のめりで切り拓いていけるのではないかなと。
やりたいことが見つからない。大学を出て働き始めてからも、自分の真の気持ちに向き合えない人が多いのは、幼少期や学生時代に好奇心に蓋をしてしまったからではないのか。
キャリア教育や面白い大人たちとの出会い、多様な人が属するコミュニティ、そして日々の探究習慣。自然体験や遊び、スポーツ。
このような、人生を豊かに生きる上で欠かせないにも関わらず、その効用が理解されず、通常の教育では虐げられそうな対象について自分は興味があるし、それを自分なりの探究テーマとしてサービス化してみたい。
日常全てを探究の対象と捉え、学ぶことを愛し、学ぶこと自体がより良く生きることに繋がっている。そんな人が増えたら良いなと思う。
そして、自分自身がそんな存在でありたい。