初夏の山形。
先祖が眠る墓のひとつに、祖父の骨が納められました。
今年3月に亡くなった祖父は、両親が共働きだった僕にとって育ての親のような人。
学校から帰ると、いつも奥の書斎に座っていた、祖父の逞しい後ろ姿が思い起こされます。
こんな暑い日でも決してクーラーはつけず、白のタンクトップに扇風機だった祖父。
落とさぬように抱えた骨壺はじっくりと重く、腿にぐっと沈み込む感触が、確かにそこに生きていたことを感じさせます。
膝に残る感覚を頼りに、ありし日の姿を思い出しながら、晴天の青空の元、家族で納骨を行いました。
経を読み、お墓を開き、祖父の骨を納めます。
最期は痩せ細ってしまったように見えていたけど、壺に入っていたのは、力強く丈夫なお骨。
土に帰れるよう皆で丁寧に納め、青空を見上げて何度も何度も祈りました。
祖父は今どこにいるんだろうか。
でも、きっと浄土に違いないよ。
祖母や母、叔母が名残惜しそうに去っていく姿を見て、これで少しは区切りがつくかなと。
身近な人の死は、僕に人生観や死生観を問い直すきっかけをくれました。
文章を残すことに決めたのも、その問いの中で生み出されたものであり、何かをこの世に残していきたいという気持ちの表れ。
今でも浮かぶたくさんの思い出と、鮮明な時間を残してくれた、僕たちの祖父のように。
魂はいつでも一緒かもしれないけど、またここにもお参りにくるね。
山形の自然の中で、安らかに待っていてね。